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ズケヤマという人が、システムエンジニアになったキッカケ。

「システムエンジニア」とはどういう仕事なのか―を紹介する「システム開発の裏側」
今回は、ズケヤマがシステムエンジニアになったキッカケを紹介する。モノづくりはいいぞ。

📙すべての始まり、着メロ本

 小学4年生ぐらいの頃に、初めてデジタル端末に触れた。兄が以前持っていて、使っていない「セルラーのcdma One」という携帯電話だった。

 モノクロ表示で、バックライトの色を少し変えられる程度のものだったと記憶している。電話はもちろんのこと、電話帳やメモ帳、電卓などが使えるのだが、その中でも「着メロ」機能が私にとっては一番おもしろい機能だった。

 着メロが自分で作れる機能があって、音符をキーパッドで打ち込んで作れた。当時は 「着メロ本」 なるものが流行していて、最新の楽曲を着メロに打ち込むための譜面が掲載されていたりした。

 そのような本も自宅にあったので、知っている曲の楽譜を入力してひとりで楽しんでいた。ネット接続はできなかったため、携帯で遊ぶのはこれぐらいしかできなかった。

🖥️最初に触ったパソコン

 次に、私はWindows98がインストールされたIBM製のパソコンを譲ってもらった。当時は学校などの公共施設でしかパソコンを触る機会がなかったため、とても興奮したのを覚えている。

 電源ボタンを押すと、BIOS画面が一瞬表示され、Windowsの起動画面に切り替わり、それからしばらくしてからようやくデスクトップ画面が表示されるという、今では当たり前の流れではあるが、起動するたびにワクワクしていた。

 このときに初めて自宅でインターネットを開通したのだが、NTTの「フレッツ・ADSL」で、ISPは確か沖縄県内のサービスを使っていたような記憶。モデムの配線からパソコン側の接続設定まで自分で行っていた。

 自宅のすぐ近くにTSUTAYAがあったので、CDを借りてパソコンに取り込んで聴いていたような気がする。ただ、WIndows98はまだ多用途な使い方に対応しきれておらず、サードパーティ製のソフトなどを使うとすぐにフリーズしたり、ブルースクリーンのエラーになったりしていて、あまり使いきれていなかったが、ネットサーフィンでFlash作品を楽しむぐらいはしていたような気がする。

⌨初めてのプログラミング

 小学6年生ぐらいの頃だったか、祖母にWindowsXPのノートパソコンを買ってもらった。プログラミングに興味が出たのはその頃で、BASICというプログラミング言語で遊んでいたのを覚えている。

 学校の図書館にBASICプログラミングの本があり、それを借りて、いろいろ試していた。バンプオブチキンの曲にもなっている「Hello, World」は、まさにプログラミングで一番最初にやることだ。

 まずは画面上に「Hello, World」という文字を出力させること。簡単な四則演算をして計算結果を出力する。キーボードから入力した数字を変数に格納してそれらを計算させたりするところからプログラミングの世界は始まる。この辺までできるようになると、簡単なゲームが作れるようになる。

 図書館で借りた本には「数当てゲーム」のプログラムコードが載っていて、コード内であらかじめ答えとなる数字を定義しておく。例えば「10」など。次にこのような画面出力を行う。「数当てゲーム。まずは数字を入力してみよう。」その次にキーボードからの入力を受け付ける。例えば「5」を入力してみる。すると、定義していた答えの「10」と、今入力された「5」を比較した結果を画面に出力する。

「残念! 答えは 5 より大きい数だよ。」そしてまたキーボードからの入力を受け付ける。今度は「15」と入力してみる。すると今度は「残念! 答えは 15 より小さい数だよ。」出力結果から、答えは5より大きくて15より小さいことが分かる。

今度は間をとって「10」と入力してみると、「正解! 答えは 10 でした!」と出力されて、プログラムは終了する。ものすごく単純な仕組みではあるが、私はこのゲームからプログラミングの基礎を学んだ。

 次に、自分でホームページを作ってみたいと思い、HTMLを勉強した。当時はホームページを作るというと「ホームページ・ビルダー」というソフトがメジャーで、ワープロ感覚で直感的なWebページ作成ができた。もちろんこれは有料ソフトだが、学校のホームページはこのソフトで作られており、すこし触らせてもらった覚えがある。

 そこで、Webページの仕組みについて、ネットで調べていくと、どうやらWindows付属のメモ帳でホームページが作れると。早速HTMLで「Hello, World」を表示させてみた。この「タグ」というもので文字の書式(見出しや太字、色の変更など)ができることを知り、自己紹介のWebページを作ってみた。

 ただし、自分で作ったWebページをインターネットに公開するには、さらに別の手順が要る。「Webサーバー」を自分で設定してインターネットに公開するか、Webサーバーを貸し出しているサービスを利用するかの2択だったため、簡単にできそうな後者を選ぶことに。当時はYahooが出している「Yahoo!ジオシティーズ」というサービスがあり、自分の作ったHTMLファイルをそこにアップロードすると、自分専用のURLが発行され、世界中に公開できるようになっていたのだ。(現在、このサービスは終了している)

 そして、Perl(パール)というプログラミング言語で作成されたCGIという「電子掲示板」プログラムファイルがあちこちに公開されており、それらをWebサーバーにアップロードすると、自分のWebページで電子掲示板を使うことができたのだ。この頃から私は「プログラマーになりたい」と思うようになった。

🔨原点は「モノづくり」

 と、いろいろと過去を振り返ってみたのだが、私が今、システムエンジニアや事業活動を行っているその原点には「モノづくりの楽しさ」があるのだと思っている。

 これも中学生ぐらいの話だが、スーパーのレジが大きく変わり、自動精算機が導入された。それまでは手でレジを開け、代金を納めて釣銭を店員が自分で数えていたものが、機械に小銭やお札を入れるだけで自動で釣銭を計算して出してくれるのだ。

 今では当たり前ではあるが、この変化には衝撃が走った。それからレジ周りは進化を極め、今や商品の登録から客が自分でできる「セルフレジ」や、携帯端末で事前にバーコード読み取りを済ませ、レジでは支払だけで済む「スマートレジ」などの普及も進んでいる。

 後は、駐車場もタイヤロック式からナンバー読み取り式に変わってきている。入口のカメラで自動車のナンバーを読みとり、出庫時にナンバーを照合して清算するというもの。これらもすべて「システム」であり、「システムエンジニア」を含め様々なエキスパートが協力して生み出されたものだ。しかしその裏には、開発者や技術者の「モノづくりへの情熱とこだわり」が込められている。

 最後に、システムだけに関わらず、音楽制作、動画制作をはじめすべてのクリエイティブな活動には、モノづくりへの情熱が欠かせないと思っている。私としてもこれから様々な作品を生み出していければと思う。

※ 画像はすべてAI生成のイメージです

2026-03-06 02:05:26 / ズケヤマ

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